【 全国三喜会(二日目)・自由行動 】 昨日宿泊した方々は、朝食後三々五々帰途に着きました。 札幌まで車で帰る人・朝の新幹線で帰途に着く人・函館をもう少し散策する人・飛行機で帰るために 出発する人。 その中で、もう少し函館を散策した盛岡人他の様子を・・・。 |
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ホテル函館ロイヤル・バイキング朝食場 | ホテル函館ロイヤル・フロント前のロビー | |
昨夜の二次会の席上と朝食時に、吉田治夫さん(野球部)から、函館市内に母校の大先輩で偉大な野球 人の久慈次郎捕手像があることを聞いて、そのブロンズ像を見学して五稜郭公園にある函館奉行所跡を 見ることにしました。 久慈次郎氏は、盛岡中学〜早稲田大学〜函館大洋倶楽部(函館オーシャンズ)と野球の捕手をし、晩年 全日本渡米野球チーム主将に選ばれた名捕手です。 昭和6年と9年に来日したアメリカ大リーグ選抜チームとの試合で、捕手兼主将を務め、特にベーブルース やゲーリックといった伝説的な巨人たちを向こうに、沢村栄冶・スタルヒンたちをリードした。 後に、本格的プロ野球チーム「大日本野球倶楽部(現在の東京巨人軍の前身)の首相に選ばれる。 しかし参加寸前の函館大火で函館の町が消失。その復興に助力するため、参加を辞退しました。 今日、久慈次郎の名前は、東京巨人軍の「初代主将」として記録に残っております。 今でも、都市対抗野球大会に「久慈賞」としてその名前はたたえられております。 全国の野球ファン等の名野球ナインを選出した際には、野村選手等を抜いて捕手で一位に久慈次郎の名 前が出ております。 久慈次郎は、晩年不運にも頭部に捕手の送球が直撃して即死しますが、その捕手の構えのブロンズ像が、 この函館にあると説明を受け、是非とも見に行こうということになった訳です。 |
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八千代台球場(オーシャンスタジアム) | 久慈次郎のブロンズ像 | |
久慈次郎のブロンズ像 | 「球聖久慈次郎の碑 水原 茂」 | |
顕彰碑 | 久慈次郎の前で記念写真 | |
案内人(吉田治夫さん)と女性陣 | ||
タクシーの運転手さんは、久慈次郎のブロンズ像の場所が良く分からなかったが、球場で野球の試合に来て いた、高校生は、「球場の正面にありますよ!」と教えてくれました。 |
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久慈次郎のブロンズ像をあとに、五稜郭公園内にある旧函館奉行所の見学に向かいました。 この場所は、前日函館に来てここを尋ねた鈴木孝輝さんから、ぜひ行ってみる価値がありますよとの推薦が あったところです。 |
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旧函館奉行所 | 函館奉行所の内部 | |
五稜郭公園 | 五稜郭タワー | |
一緒の散策組みは、ここで五稜郭タワーに登る組と駅方面に向かう組に分かれる。 私は、駅方面に向かう組で、函館市電で函館駅方面へ。 |
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函館市電 | 函館駅 | |
函館駅前で下車。 函館朝市にある「どんぶり横丁」で腹ごしらえ。 |
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味鮮まえかわ | 海鮮5色丼 | |
昼食後は、それぞれのところへ 私は、どうしても赤レンガ倉庫を訪ねるために海岸通を・・・ 赤レンガ倉庫は、小樽や横浜や神戸等で見ておりますが、函館の赤レンガ倉庫は、ぜひ見たいと・・。 |
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金森赤レンガ倉庫群(1) | 金森赤レンガ倉庫群(2) | |
途中の道で、反対側から駅に向かう小原徳雄さんの一団とすれ違いました。皆さんそれぞれの行程で函館を 楽しんでいました。 ゆっくり、倉庫群を散策し、お土産を買ったり、建物内を見学して函館駅に向かいました。 後ろを振り返ると、函館山や、元町痛に続く道が見え、昨日とは違い汗ばむくらいの晴天に満足しました。 |
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函館駅の待合スペースで、それぞれの岐路の時間に合わせて、しばし歓談。 私たち盛岡組みは、16:17新函館北斗駅発の新幹線で帰ってきました。 次回2年後は、首都圏で開催を計画しているようですが、皆さんそのときに又会いましょう。 いつものことですが、又会いましょうが合言葉になりました。 、 |
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