小澤紘くん(5組)に合掌

   同期の小澤紘くんが、3月16日に亡くなりました。彼は、我が白亜三喜会の第2回全国大会
 の実行委員長をつとめたほか、盛岡白亜三喜会には、絶えず顔を出して同期会の運営に力を
 貸していただいた素晴らしい方です。
  火葬は、3月18日(土)に盛岡市火葬場で行われ小原徳応・吉田哲雄・武蔵繁明・藤原征二
 良他(慌しかったので後は確認ができず失礼)が参列。
  葬儀は、3月20日(月)に南部会館サザンパレスで行われ、村井軍一・平野周・小笠原征孝
 ・武蔵繁明・小松忠彦・藤田和男・似内利正・嶋田邦守・平舘信義・菊池長一郎・池野博章・上
 野昭次・高橋盛佳他(これも確認できない人がいれば失礼)が参列。
  今までの功績をたたえて、三喜会と飯島仁君からの供花。弔電は、村井軍一・早野貫一・佐々
 木正身・石川恵脩君から。弔辞は、三喜会を代表して高橋盛佳君が読みました。
   (弔事の内容は、以下にあげます)
  また期せずして、亡くなった3月16日は、小澤君の結婚記念日だそうです。

 通夜、火葬、葬儀に出られなかった皆さんそれぞれのところで合掌してください。
             弔  辞 ( 全文掲載 )

  去る十六日の午後、私は、東京で同期の須藤鷹千代君の事務所を尋ねていた。そこに妻から、
 「今、小松忠彦さんから」といって、君の突然の訃報が知らされた。一瞬耳を疑った。須藤君も「そ
 んな!」と云ったきりしばし言葉を失っていた。この日、私たち盛岡一高昭和三十七年卒業の白亜
 三喜会に驚愕と悲しみが走った。
  我々よりも、残された奥様や息子さんらご遺族の悲しみ、お嘆きはいかばかりか、想うだに胸の裂
 ける思いで一杯です。
  小澤君、君と知り合ったのは、四十六年前の2年生の春ころだったろうか。君が黒沢尻北高校から
 盛岡一高に転校し、私のいた菜園に引っ越してきたことがきっかけだった。当時菜園にあった南部湯
 でよく君と一緒になり、どちらからともなく「オス!」と挨拶し合い、君は軟式テニス部、私はバレーボー
 ル部と共に運動部の仲間として自然に親しくなったことを昨日のように想い出します。
  風呂で見た、スポーツ万能を一目で示す全身これバネといった筋骨逞しい気味の体には何時も圧
 倒されたものです。
  高校2年の秋だったか君は当時体育委員長をしていた私に、ここに参列している平野周君らと「硬式
 テニス部を創り、東北大会で優勝してくるから認めてくれ」と言ってきた。こうして岩手県の高校で初め
 ての硬式テニス部が誕生したのです。
  君らはしゃべったとおり翌年、インターハイには学校の了承が得られず出場できなかったものの、東
 北大会で見事ダブルス・シングルス共に優勝してきた。君は、口数は少ないが、言ったことはちゃんと
 実践してみせるすごい奴だったと改めて思います。
  四十を過ぎてからも、君はテニスの練習着を着てラグビーに励む根っからのスポーツマンだった。
  その君が、まさか病魔に触まれ、一足も二足も速く急いで彼岸の川を泳ぎわたってしまうとは!
  君の訃報を知った盛岡一高同期の三喜会仲間から驚きと悲しみの声が私のところに幾つも届いてい
 るのでお伝えします。

  「インターネットで投稿してくる小澤君の画像は【岩手山に真っ直ぐな道】が多かった。岩手山に登るこ
 とを目標にして居たのかも知れない。平成八年に開催した第2回全国三期会では実行委員長を引き受
 けてリーダーシップを発揮してくれた。”いい奴”を失った大きさを今みんなが感じている。もう一度、男の
 酒を飲みたかったなあ。 小原徳応君」

  「突然の訃報に愕然としている。寂しさがこみ上げてたまらない。小澤君はご高齢のお母さんを一生懸
 命介護していましたが、どうしておられるのでしょうか。謹んで小澤君のご冥福をお祈りします。
 菊池長一郎君」

  「仕事で盛岡ガスの社長に頻繁にお会いするようになった時期に、そばから色々とアドバイスをしても
 らったのが親しくなるきっかけだった。そのうちに飲もうと約束していた。ここ数年の濃い付き合いが絶た
 れることは非常に残念です。 藤原征二良君」

  「何と言うことでしょう!偶然にも、岩手山の表と裏から同じような時期に、同じような構図で写真が並
 び、今度会えたらお互いの定点観測の話が出来ると密かに想っておりました。ご病気のことは何も知り
 ませんでした。岩手山が見守っていてくれます。やすらかに・・・。  畑中美耶子さん」

  「小澤君とは数回、三喜会で一緒になりました。仲間に囲まれて、楽しそうにしていた様子を想い出して
 います。寂しい限りです。散る桜残る桜も散る桜。ご冥福をお祈りします。 南澤毅君」

  「昨年の十一月に殆ど続けて2回会った。初めは小岩井の会社に押しかけたら、『ここから見る岩手山、
 すげーぞ!』と言ったっけな。次は、うめーそば食わせてやると盛佳の家さ集まった時。だけども、おめさん、
 ちょっと腹の調子が・・・と食わねがった。似内君と電話で話したら『あの時は小澤君の狭間だったよ』だっ
 て。小澤君、有難う。済まなかった。安らかに。 毛藤国彦君」

  「小澤君が、盛岡ガス労働組合の役員をしていて、全国会議等で上京したときには、よく会って飲んでは
 組合運動を熱く語ったものだった。彼は、真面目に組合に取り組んでいたし、色々と教えられるところもあっ
 て、思い出が噴き出してくる。彼の活動に敬意を表し、心から哀悼を捧げたい。 佐々木正身君」

  今年の十月に小岩井で開催する、第7回全国三喜会では、今回も君は実行委員になり白亜の友と会うこ
 とを、君も楽しみにしていたというのに。
  小澤君、君はもう二度と私たちと飲み、語り、そして一緒に母校の校歌を歌うことは出来なくなったんです
 ね。君を失ったことは、本当に悲しく痛恨の極みだが、会者定離、生者必滅の理(ことわり)を粛々として受
 入れざるを得ないと無理にも承知させています。
  お別れに、病魔と精一杯に闘って生きてきた君を讃え、またこれまでの篤い友情に感謝し、母校の校歌と
 エールを贈ります。

   世に謳われし浩然の  大気を此処にあつめたる  秀麗高き岩手山  
   清流長き北上や     山河自然の化をうけて   汚れは知らぬ白亜城

   頑張った!頑張った!小澤!  サンキュー、サンキュー 小澤!

  小澤君、さようなら。安らかにお眠りください。 合掌。

              平成18年3月20日  岩手県立盛岡第一高等学校
                       昭和三十七年卒業・白亜三喜会        高橋 盛佳


盛岡三喜会新年会(平成17年1月)